文庫「小津三昧」出版へ
映画「早春」から「秋刀魚の味」まで小津安二郎監督の晩年の作品のプロデューサーを松竹で務め、92年鎌倉ケーブルコミュニケーションズ代表取締役社長、97年鎌倉同人会理事長、2004年鎌倉文学館館長、などを歴任した山内静夫さんが8月15日に亡くなられた。日本の映画文化の発信、鎌倉の芸術文化振興に尽力した氏の功績を称え、鎌倉朝日では1面と4・5面、8面に特集を組みました。
「よろしく、頼むよ」。山内静夫さんと最後にお話できた機会は、今年の6月13日、96歳のお誕生日でした。その際に投げ掛けられたのが、この言葉。「山内さん、何を頼むと言われたのですか」。以来、ずっとその意味を問い続けています。
小津安二郎監督の生誕110年・没後50年だった2013年、映画文化の草の根振興を目的に、元小津組プロデューサーの山内静夫さんや建築家隈研吾さん、浄智寺住職朝比奈恵温さんらとともに、NPO法人湘南遊映坐を立ち上げました。
遊映坐は毎年、かつて小津監督がお住まいだった地元・北鎌倉で、「予告篇ZEN映画祭」という小さな手作り映画祭を主催しています。その中に、山内さんと一緒に企画した「みんなの小津会」という特別プログラムがあります。会では、円覚寺にある小津監督のお墓参りや小津映画の上映、トークなどを実施。ゲストには、俳優の柄本明さんや加瀬亮さん、料理家の辰巳芳子さん、絵本作家の葉祥明さんら、多彩な顔ぶれが集り、対談相手は、山内さん自らがご担当。小津映画を小難しく論じることは一切なく、ゲストや観客の皆さんとの交流を楽しみながら、小津作品の魅力を伝えてくださっていたようです。
朗らかなお人柄で、ユーモアも交えた柔らかな語り口。素朴で一途な思いにみなぎっていたそのお姿は、まさに小津調そのものでした。
山内さんとは、この「みんなの小津会」の対談内容を、以前NPOで発行した記念誌『小津三昧』に加えて正式に出版し社会へ還元できたらと相談を重ねてきました。ぜひそのご遺志を継いで出版を実現し、後世へ継承できたらと願っています。
文庫『小津三昧』は今年の12月12日発行予定。現在、出版費用の寄付金を募っています。
問い合わせは湘南遊映坐メールinfo@trailerfes.jp/
0466・65・0123 (NPO法人湘南遊映坐理事長・岡博大)
「みんなの小津会」で対談する山内さん
昨秋「隣人に聞いてみたい23の質問」という企画で、山内静夫さんにインタビューを受けていた だきました。23枚の質問の書かれたカードを伏せて選び、カメラの前で答えてもらいます。
山内さんが初めに引いた質問は「最近はじめた習慣やチャレンジはありますか」でした。「ないね、 残念ながら。もうね、遅いよ。今から何やるったって。特にありません」と笑いながらの即答 に、穏やかな対話の時間がはじまりました。
山内静夫さんに聞く「100年後の鎌倉に残っていてほしいものは何ですか」という質問です。 「なるほど100年後ね。日常の空気。普段の鎌倉にいる人間の空気、呼吸。鎌倉の人は、僕の 感じ方なんだけれど、さりげくあまりよそ行きの顔はしないで暮らしている人が多いように思えるんだよ。日常の何でもない中で考えていても、何かを強く主張しようとはしないというか。 要するにあまり自己主張しないで、自分を出そうとしない方が僕には人間として洒落てる。何か意味のあることばっかりを言おうとする人は頭がいいように思えるかもしれないけど、そういう主張を前に出したい出したいと思っている人は僕はあんまり好きじゃない。鎌倉の人はどっちかというとそういうさりげない人が多いように僕は感じてる。それが僕には鎌倉らしさに思え る」。
2020年9月11日
インタビュアー・中村早紀HP: 23questions.jp
円応寺・鬼卒立像
褌(ふんどし)姿の裸形でアスリートのような立派な太ももを見せつけ、仁王立ちする鬼卒(きそつ)は冥界の番兵です。死後、冥界の総司として死者の生前の罪を裁く閻魔大王に仕える番人ともいうべき鬼なのです。こちらを睨みつけ、棍棒(こんぼう)を握りしめ罰則として時には打擲(ちょうちゃく)(打ちたたくこと)する役どころだそうです。
そんな恐ろしい鬼ですが、どことなくユーモラスで親しみがあります。所蔵している円応寺は鶴岡八幡宮から建長寺に向かう小袋坂の途中にある通称、閻魔様のお寺で知られます。本堂はまさに我々が死後お世話になるかもしれない冥界のようです。そこには十王という裁判官が並び死者がその審判を受けるのです。ちょっと恐いようですが時にはそんな思いも大切なのでしょう。鎌倉時代、禅宗寺院などは人々に勧善懲悪を促すため十王をまつることが多かったともいわれます。
さて、あらためて人は死んだらどうなるのでしょうか。極楽浄土や天国はあるのか、はたまた地獄なのか、気になります。
そんな死に方や生き方を死生観といいますが、世界中で様々な考え方や伝統的習慣の儀礼として多く見られます。しかし死後のことや不思議な世界観を一様には決められません。でも一つ共通する考えがあると思います。それは、いま生きる私たちの姿勢であり生き方が問われているのだと思います。
鬼卒は今日も厳しい顔で亡者を十王の前に引き出します。「しっかり生きろよ、自分の都合ばかりで生きていては駄目だぞ」なんて声が聞こえてくるようです。
お彼岸は亡き人を偲ぶという日本のよき習慣であります。慎み深くお墓まいりをされる方、家族みんなでわいわいお参りする方々、みんな清々しいお顔に見えました。
木造、寄木造。玉眼。彩色。像高78・9cm。
鎌倉時代。国重文。
葉山・堀内のパワー地図 大貫昭彦
*葉山の中心地 堀内(ほりのうち)・一色(いっしき)・上山口・下山口・木(き)古庭(こば)・長柄(ながえ)の6つの大字を統合して生まれた村です。町制が敷かれたのは、1925年(大正14)です。町の中心は三浦氏の館が置かれた堀内で、元町の長徳寺には今も土塁跡が残っています。須賀神社と諏訪神社も堀内の歴史に欠かせない社です。
*鐙摺(あぶずり)城(じょう)の神仏 須賀神社は、逗子市と境を接する鐙摺城跡にあります。社の前には葉山マリーナや葉山鐙摺漁港の海が広がっていますが、城跡の一角にある内の空気は少し陰鬱です。祭神は、疫病や外敵退散を祈る素戔(すさの)嗚(おの)尊(みこと)です。神社の隣の海宝寺にも魔除けに威力を発揮する閻魔十王が祀られています。堀と土塁と城と、さらに社や寺と…。堀内は二重三重に鎧を着ているのです。
*須賀神社の荒ぶる神 須賀神社は京都の祇園社を勧請したと伝えますが、社名は素戔嗚尊が八(や)岐(またの)大蛇(おろち)を退治して発した「ああ清々し」の言葉に由来します。天照大神に反抗し、大蛇と戦った荒神は、城の守護神として最適です。今も鐙摺地区の鎮守として親しまれています。コロナ騒ぎが収まれば、白装束に烏帽子をつけた白丁(はくちょう)が、神輿を担ぐ品のある祭りも復活するでしょう。
*波打つパワー 須賀神社の境内に入ると、大根会の皆さんの反応は機敏でした。会話が弾み、いろいろな感想を聞くことができました。「甘い、いい香りがします」「腕から手先へ引っ張る力が抜けていく。抜けると気分がよくなります」。「波の上にいる感じ」という声は、何人もの方から聞きました。大根師も「賽銭箱の左手前に立つと、船酔いするほどだ。波動が時計回りに回る」と具体的です。しかし、波動するパワーが存在するのは小さな石段までのようです。大根師は、「これは昔の境内の範囲を示し、この下まで海だったのではないか」と言われました。
*諏訪神社の静なる神 須賀神社から三浦方面に7、8分行くと諏訪神社があります。道路から直登する山腹にあり、タブノキが森をつくって、神域の雰囲気は十分です。しかし、メンバーの反応は須賀神社とは異なりました。祭神は、伊勢の神に反抗した建(たけ)御名方(みなかたの)命(みこと)。天照大神の使者建(たけ)御雷神(みかずちのかみ)に敗れ、大風を起こして諏訪に逃れた神です。風を頼りに生きる漁師が、必ず祭る神さまです。須賀神社の素戔嗚尊と同じ荒神なのに反応が低調なのは不思議です。
*動かぬパワー それでもやがて様子が変わりました。社殿の横に並ぶ石の祠に関心が集まって、動きが忙しくなったのです。石造品は全部で5つ。向かって右から御幣を祭る鎌倉石の祠、2番目は仙人のような陶器の人形を収めた祠、3番目は諏訪神社講中と刻んだ祠、4番目、5番目は五輪塔と石灯籠の一部です。この前で強力なパワーが見つかりました。波動ではなく、ずっしりと重い力を感じるのだそうです。中でも諏訪神社講中の石祠の力が強く、「手のひらが熱い」「足の裏が温かい」「強く引っ張られる」などの声が上がりました。 大根師は「真摯に祈る人たちによって、神が目覚めたのでしょう」と言われました。「祈りが真剣なら神も応える。神は働きたいのです」とも言われました。確かに神社巡りを終わった時の皆さんの表情はいつもさわやかです。鈍感な筆者も、お裾分けをいただいたような気分です。
森戸川で親子自然体験
川のイノチを感じる「流域体験イベント〝ふむふむ〟が8月9日、葉山町で行われ、11人の親子が参加した=写真。 帝人グループのヘルスケア事業会社で国産の高品質なサプリメントなどを研究開発するNOMON(東京都千代田区)が小中学生と保護者に向けての初めての催し 雨が止んだ森戸川林道にマイクロバスで到着後、葉山在住のランドスケーププランナー滝澤恭平さん(45)が「緑のダム」と呼ばれる森の機能には一気に川が増水しないよう保水する力があることを解説。森から川を経て海につながる水の流れを追って体感する「流域体験」を楽しんだ。 林道中程にある川原では、水質検査で川に溶け込んだ有機物の値を調べたり、魚を捕獲したりした。増水して濁った川では、普段よりも有機物が多く検出され、カワムツやスミウキゴリ、海から川を上ってくるモズクガニも見つかった。 魚は人が触ると体温で火傷をすると教わった子どもたちは川の水で一度冷やしてから水槽に手を入れ「初めて網で魚をすくった」「ヌルヌルしてるけど呼吸を感じる」と興味津々の表情。森戸神社横の河口でも水質検査を行ったが雨の影響で上流との差は僅かだった。 滝澤講師と地元の知人だったことから今回の企画を発案した同社の岡部謙介さん(48)は「研究者が中心となっている当社では、企業理念とも重なるこのような活動を今後も続けていきたい」とと話していた。 (K)
藤沢鵠沼の海と東屋を愛した 小泉八雲 池田雅之
小泉八雲は1890年(明治23)4月、来日早々、鎌倉の円覚寺、建長寺などの寺巡りをして、江ノ島を参拝した。八雲の鎌倉と江ノ島をつなぐ湘南の聖地巡礼の旅は「鎌倉・江ノ島詣で」という紀行文に結実し、拙訳の『新編日本の面影Ⅱ』(角川ソフィア文庫)に収められている。
私はこの美しい見事な紀行文一作をもってしても、この湘南地域にとって、八雲はゆかりの作家ではないか、と密かに思っている。しかし最近、日本画家の富安千鶴子さんのご教示で、八雲が藤沢市にも縁の深い作家であることを知った。
八雲の長男一雄の書いた『父八雲を憶う』の「海へ」の章に、1891年(明治31)夏、48歳の八雲は一家を連れて藤沢の鵠沼海岸に出かけ、3週間も長逗留したことが記されている。八雲たちが泊まったのは現在は記念碑しか残されていないが、白樺派誕生の地、東屋(あずまや)という旅館であった。
東屋は戦時色の強まる1939年(昭和14)に半世紀に渡る歴史を閉じたが、多くの作家、詩人、歌人(芥川龍之介、斎藤茂吉、志賀直哉など)が参集した大旅館であった。近代文学を担う新進の旗手たちが、創作や文学談義や保養のためにやって来る、一種の文芸サロンのような活気に満ちた所であった。
八雲は一家を引き連れての滞在であったので、作品を書くためではなかった。水泳が得意な八雲は遠浅の鵠沼の海をたいそう気に入り、長男一雄と共に海で泳いだ。
私はそんな八雲一家のことを思いながら、富安さんと初夏の強い日差しの中、鵠沼海岸駅付近を散策した。途中、八雲展のポスターと著作をショウウインドウに飾ってくれている平間表具店に立ち寄り、店主の平間さんと3人で、「このあたりに八雲通りでも出来るとよいですね」などと話し合った。そんな話で盛り上がっている折、藤沢市総合市民図書館で、「小泉八雲が歩いた江ノ島」(6月10日~7月27日)という展示会が開かれた。この催しは、私にとっては嬉しいサプライズであった。八雲愛好家の富安さんの発案で、同図書館長の市川雅之さんと同市の生涯学習部の田代俊之さんが企画して下さった催しであった。これからも八雲展をきっかけにして、藤沢市の文化資源を掘り起こしていただきたいと思う。
(早稲田大学名誉教授・鎌倉てらこや顧問)
基礎は基本
家を構成する重要な構造物は、基礎・土台・柱・梁です。先ず基礎について考えて見ましょう。古くは地面に柱を突き刺して倒れなくする程度でしたが、石を置いてその上に柱を立て作られる様になり、それから石の下を砂利で固めたり、土台を並べてその上に柱を立てたり、石の数を増やしたりして少しでも丈夫になるようにしてきました。
その後土台の下全部をコンクリートにして固める布基礎に発展し、今では床下全部を鉄筋コンクリートにするベタ基礎が主流です。建物の重量や家財道具の量が増え家全体が重くなったので地盤の耐力が必要になり地盤改良をすることが多くなりました。方法は幾つもありますが、固い層で支持する考え方の方が安心です。土と杭との摩擦で持たせるやり方は大きなビル工事では採用されません。住宅でも基礎は一番重要な要素で、手抜きや欠陥・悪意があると時間経過とともに表面化し取り返しのつかない大惨事になります。
杭が支持層(岩盤)にまで届いていなく、最終的に建て替えたマンションの事件は、日本の大手建設会社が数年前横浜で起こしました。家を営業マンから買う時代、一生に一度の最高額の買い物です。見かけや営業マンの甘言には要注意。
日向建設
鎌倉市大船1―15―3
0467・47・5454
http://www.hyuuga.co.jp/
9月17日~12月22日
鎌倉の芸術文化を発信しようと2006年から始まった鎌倉芸術祭は、薪能、絵画展、コンサート、史跡巡りなどの多彩な催し物を、市内の社寺などを会場として、毎年秋に開催。今年の催しは下記のとおり。
問い合わせ
鎌倉市芸術文化振興財団 0467・23・3755
吉川英治『宮本武蔵』(十七) 赤羽根龍夫
波打際に座って見送るお通を振り向きもせず、単身小舟に乗った武蔵は船頭に舟底にある櫂(かい)を貰い、小刀で削り出した。しばらくして削り終わると懐紙を取り出して紙縒(こより)を作って襷(たすき)にかけた。
私自身は武蔵が小舟の中で櫂を削って木刀を作ったとは思わないが、この櫂の木刀を作った事こそが武蔵が小次郎に勝つための作戦であった。
小次郎は三尺余りの長剣を使うことが自慢であった。それに勝つには小次郎の「物干し竿」よりも長い木刀を使う必要があった。しかしその長さを知られてはならない。廻船問屋に滞在したのも櫂があるためであったろう。武蔵は部屋に籠って長い時間をかけて手頃な木刀に削った。
時間を遅らしたのも私は本当のことであったと思う。なぜ小次郎をいらつかせたのか。小次郎に武蔵の木刀の長さを気が付かせないためである。
武蔵は浜に立つ小次郎を見ると遠浅で舟を止めさせ海水の中を歩きだした。
小次郎は武蔵を岸にあがらせまいと水際に立ちはだかって物干し竿の長剣を抜き放ち、鞘を波間に投げ捨てた。それを見て武蔵は云い放つ。
小次郎っ。負けたり!
勝つ身であれば、何で鞘を投げ捨てむ。
小次郎は「うぬ。たわ言を」と怒り、物干し竿を武蔵に振り被ろうとしたが、厳のように見える武蔵の姿に、途中で身を反らして構え直した。
こうして睨み合い何合か打ち合った後、武蔵は、上段に構えた小次郎の前に刀の切先を突っ込んだ。小次郎がハッとした時、武蔵は宙に跳び上がった。
慌てて大きく宙を切った小次郎の長剣は武蔵の額(ひたい)を締めていた柿色の手拭いを二つに切った。
ニコッ、と巌流の目は、楽しんだかも知れなかった。しかし、その瞬間に、巌流の頭蓋は、櫂の木剣の下に、小砂利のように砕けていた。
こうして巌流島の決闘は武蔵の勝利に終わり、武蔵は「生涯のうち、二度と、こういう敵と会えるかどうか」と小次郎に対する愛惜と尊敬の気持ちを抱きつつ浜で待機している小舟に跳び乗った。
吉川英治は二人の剣の違いを次のように総括する。
小次郎が信じていたものは、技や力の剣であり、武蔵が信じていたものは精神の剣であった。それだけの差でしかなかった。
本当にそうだろうか。実際の決闘はどう行われたのだろうか。
小次郎と武蔵は何合か打ち合い、最後には武蔵が飛び上がって小次郎を打ったとあり、映画も小説も同じような展開を見せるが、実際の武蔵は小舟を降りて、波打ち際まで櫂の木刀の先を海中に沈めたまま歩き出し、武蔵が時間に遅れたことを怒った小次郎は武蔵の木刀の長さに気が付かず、真っ向から長剣を振り下ろした。
武蔵は僅かに身を引いて長剣を見切り、同時に櫂の木刀を小次郎の頭上に打ち据えた。
小次郎は何が起きたのかも分からずに砂上にうつ伏せに倒れた。
巌流島の決闘は、義経の鵯越(ひよどりご)えの坂落し、信長の桶狭間の戦いと並んで日本の三大決戦の一つである。
日本一の兵法者になるために、勝つための方法を徹底して考えたところに武蔵の偉大さがあり、精神の剣ではない。
(神奈川歯科大名誉教授)
葉山の棚田アイス
葉山の原風景を残す上山口の棚田。「にほんの里100選」にも選出された棚田の米を使ったアイスクリームが注目を集めている=写真。 6年前、家族で都内から葉山に移住してきた山口冴希さん(35)は、棚田の美しさに魅せられ援農ボランティアに参加。米作りの楽しさや奥深さを実感する一方、人手2倍でも収穫は半分という棚田が後継者不足で存続の危機にあることを知る。生産性だけではない価値を伝えるものが作れないかと棚田米を使用したノンアルコールで甘酒風味の「葉山アイス」を2018年に開発。地元名産品の葉山生姜もスパイスに使い、1個につき10円を棚田保全に還元する仕組みを作り上げた。 親しみやすいアイスを通した取り組みは、同年秋の「棚田サミット」で同じ悩みを抱える各地の棚田関係者に注目され、長野の「姥捨の棚田」をはじめとする10地域がつながる「棚田アイス」の発売へと発展。昨年末には環境省グットライフアワード実行委員会特別賞の「森里川海賞」を受賞した。 「ワクワクするような楽しさが自然と保全につながれば」と棚田アイスから力を得た山口さんは、フランスの食品展示会で出会った愛知の「三河みりん」の角谷文治郎商店と「日本の田園風景を世界に伝えたい」という共通の理念で意気投合。鎌倉の「CHOCOLATE BANK」のカカオ豆を組み合わせたアイス「三河みりん&カカオ」を2年がかりで開発し、新ブランド「DEN+EN ICE CREAM」として発売を開始した。「Makuake」というWEBサイトで10月中旬までの限定販売だが、いずれは百貨店などでの扱いをめざすという。地元の「葉山アイス」はWEBサイト「BEAT ICE」か、スズキヤ(葉山店・逗子駅前店)、ハヤマステーションで購入可。一粒の米の可能性と棚田の魅力は日本の各地と手をつなぎながら世界へと夢を広げている。 (K)
特別拝観の長寿寺で
鎌倉在住の写真家・原田寛さんの写真展「古都憧憬」が10月13~18日、北鎌倉の長寿寺で開かれる。原田さんは本紙1面に連載中の「鎌倉みほとけ紀行」の写真を担当。
鎌倉のみほとけ、四季の移ろい、古都の造形美などテーマごとに展示。
原田さんは「ゆっくりと写真で古都散策していただければ」と話す。来年のカレンダーや写真集、ポストカードなどの販売も。入場無料(拝観料3百円)。
問いあわせ星月写真企画 23・3694
「いざ、鎌倉!」70 歴史と伝統のある鎌倉を梁山泊に!
かまりん号でいざ、出航!
9月から鎌倉市倫理法人会(以下「鎌倫」)の会長を拝命した渡邉祐介です。東京都中央区で弁護士事務所を構えておりますが、自宅近い鎌倫で活動しています。
今年度は『笑顔で乗船⚓️かまりん号(GO!!)』をスローガンに掲げました。
倫理法人会との出会いは、1年前に知人の紹介で経営者モーニングセミナーに参加したことでした。朝から大きな声で歌い「栞(しおり)」と呼 ばれるテキストを皆で読む姿には誰もが一瞬ビックリするのですが、それは表面にすぎず学びの本質は非常 にレベルの高いものでした。
世に成功法則や自己啓発の類の著書は溢れています。しかし「栞」の内容は、それら無数の著書の共通項が詰まった一冊、「学びの本質は全てこの一冊にある」という感覚を受けました。家庭円満、自己啓発、ビジネスの成功、社会貢献、人生哲学…。そうした結果を求め本を読み漁るより、むしろ「栞」1冊に書かれた内容を何度も繰り返し読み、「実践(実行)」することこそ、結果につながる一番の近道だと感じました。
モーニングセミナーに参加し「実践」することにより具体的に家庭やビジネスにも良い変化が顕れてきます。そうなると、皆さん倫理にハマってしまいます。
鎌倫は、比較的年輩の方が中心でしたがここ1年間でガラっと様変わりし、20代の仲間も沢山増え、今では老若男女が楽しく学ぶ場です。鎌倫の会員は、北は北海道から南は九州にまで。職業も年齢も異なる方々が集まって明るく楽しく学び、成長する場は、他を探してもなかなかありません。
豪華客船となった鎌倫は、笑顔で乗船するクルー達を乗せ更に前進します。貴方も「かまりん号」に乗船しませんか。会長 渡邉祐介
毎週火曜日朝6時半からネクトン大船(鎌倉市大船1―12―10湘南第5ビル)でモーニングセミナーを開催しています。見学自由。
鎌倉市倫理法人会事務局 045・315・2433
横村出(よこむらいずる)さん
鎌倉と故郷の越後を結ぶ史実から着想し、越後毛利家の若き武士の生きざまを描いた歴史小説「放下(ほうげ)」を出版した。国際報道記者から小説家へと転身して初の著作。「鎌倉には、何かを物語らせずにはおかない力がある。それを感じながら書いた」と語る。
新聞社の特派員として、ロシア・チェチェンなど戦場取材に体を張ってきた。若い頃から小説家になりたいという希望があった。記事を書いているうちにその願望は日増しに強くなったという。
ジャーナリストは取材した事実を積み重ねそこから導かれた真実を読者に提示する。しかし、戦場取材を続けるうちに「事実がなくても伝えられる真実あるだろう。フィクションの方が力はあるのではないか」という思いが強くなったという。記者と作家の両立は難しいと、2010年、20年勤めた新聞社を辞め、小説書きに専念した。
新潟県柏崎市出身。早稲田大学・大学院で比較政治学を学び、研究した。2008年に結婚、暮らしやすいところをと家探しをして、翌年渋谷から鎌倉に引っ越してきた。
「鎌倉なのでこれがいいでしょう」と庭師がアジサイを庭に植えてくれた。品種を聞くとサハシノショウだという。間もなくして妻と散策した法華堂跡の石碑に「越後佐橋」の文字を見つける。佐橋の荘は自分の田舎だ。ビビッときた。「これは何かの縁。自分に書けと言われているテーマだ」。
それから鎌倉の寺をくまなく訪れ、取材を進め、書き上げた。本の副題は「小説 佐橋ノ荘」。
手元にはこのほか現代小説、近未来小説の3作品が出来上がっている。新たに江戸時代を舞台にする作品へ向けて、資料読みなどに専念している。
新聞社はやめたが、今もジャーナリズムに関わっている。大学で若い人に国際報道を中心にジャーナリズム論を教えたりしている。
妻は鎌倉国際親善大使で、女優・エッセイストの星野知子さん。同じ中越の隣町長岡市出身。風土が同じで「家で地方なまりが使えるし、郷土料理も作れるのがうれしい」と、頰を緩める。テニスを一緒にやろうと言いながら実現できていない。「小説を書き始めると別の世界に入り込んでしまう。運動をすると集中力がそがれてしまう」ので、お預けになっている。59歳。
(文・写真 三浦準司)
映画監督 篠田正浩(90)
氏の逝去の報を知らされたとき、小津安二郎という前例のない個性を発揮した作家の営みを支えてきた製作者として、かけがえのない体験をなされたことが蘇りました。古都鎌倉に隣接する大船撮影所で演出する小津の撮影現場に足を踏み入れると、物音ひとつしない静寂に包まれているのにショックを受けるはずです。人気俳優を集めてお祭り騒ぎで撮影される活動屋とは無縁でした。新しくトーキー映画の撮影所を蒲田から鎌倉大船に移築することで、山内静夫氏とその家族と出会いました。里見弴という鎌倉文士を父として、独特の文化サロンで育った山内静夫氏と家族間の会話がもたらす品格の美しさが、近江商人の家で育った小津安二郎の性根を射貫いたと私は思います。
1960年代。その後の小津映画が、現代社会の変動によって家族という単位が分裂、解体する悲哀を、ロウアングルで静謐なカメラで写し出された俳優たちにセリフを語らせることで人間性の信頼を回復するドラマが描き出されますが、その主題が世界性を持っているとは誰も気づきませんでした。
山内静夫氏は、一年に一本しか作らない小津安二郎と離れているときには、新人監督の篠田正浩の「暗殺」や「異聞猿飛佐助」の製作を手掛けましたが不入りで、斜陽産業の映画界に新風を期待した会社を裏切った篠田作品に干渉しない山内氏は苦境に立たされ、篠田は松竹を離れました。
2010年.ニューヨーク映画祭で「異聞猿飛佐助」が「SAMURAI SPY」と改題されて上映された時、クレジットに山内静夫を見つけて、私はご苦労をおかけしましたと謝罪しました。
2021年初秋
「小津組」 兼松熈太郎(84)
小津会会長山内静夫さんが8月15日お亡くなりになった。 年男の96歳だ。 私は松竹撮影所時代からお世話になり小津組では「彼岸花」「お早う」「秋日和」でご一緒でした。 小津安二郎監督没後は長きに渡り小津会会長として奥様と共に小津記念蓼科高原映画祭の発展に尽くされた。 山内さんとはテニスもやりました。映画人テニス大会ではダブルスを組み優勝しました。 秋日和の軽井沢ロケの時にも千ヶ滝のテニスコートでテニスをやりましたが、小津親父から「キタロウ君、美智子様はもう居ないぞ」と言われました。皇太子さまと美智子さんのなれそめのテニスコートです。 12月12日の監督のご命日には北鎌倉の円覚寺の無の墓前にお参りして小津会を開いていましたが、数年前からもう坂道は登れないからと下でお参りしていましたね。 川喜多記念館での私のお話会などには必ず来てくださり貴重なお話をして下さいました。鎌倉のお宅で私の撮影記録の為に最後のお話もして下さいました。 私も小津組最後のスタッフとなりましたが、語り部として会長の分まであと少し頑張ります。 天国で小津監督とダイヤ菊など思う存分飲み明かしてください。 想いでは尽きませんが安らかにお休みください。
俳優・エッセイスト 中井貴惠
「貴惠が朗読するなら小津映画の脚本を読んだらどうだ。登場人物からト書き、ナレーションまでを一人で読むんだ」 小津監督にまつわる何かを朗読したいと山内さんに相談をもちかけると即座にこういった。この一言で「音語り・小津安二郎映画を聞く」シリーズが始まった。 当時83歳だった山内さんと50歳になった私。映画のシナリオを朗読用に潤色するという初めての作業は、80を過ぎた山内さんにとってはかなりの重労働であったはずだ。そして登場人物を声で演じ分け小津作品の醍醐味を声だけで伝えるという仕事は、50歳になった私に課せられた新たな挑戦でもあった。 がっぷり4つに組んで10数年。晩春」「秋日和」「東京物語」「お早よう」「秋刀魚の味」「麦秋」の6作品を朗読作品として一緒に作り上げた。 気力と体力と闘いながらどの作品に対しても監督への深い尊敬の念と映画への愛情を注ぎ続けた山内さん。私のライフワークとなったこのシリーズは山内さんからいただいた「宝物」だと思っている。
浄智寺住職 朝比奈惠温
山内さんと親しくお会いしたのは、父のお供で小津監督の御命日に円覚寺へ墓参に訪れた時からだと記憶しています。山内さんと父は大正生まれで御歳も近く、とても親しくしておりました。 円覚寺で毎年開催していた中井貴恵さんの朗読会では、山内さんは貴恵さんと二人で、監督と過ごした頃のお話を懐かしそうになさっておられました。その個性的な語り口は、山内さんらしい上品な感じで貴恵さんとの掛け合いも楽しく、毎年が待ち遠しかったものでした。 その他に山内さんは私の友人の岡博大君が主催する「予告篇ZEN映画祭」でも運営団体の副理事長をお勤め頂き、若手の我々を導いてくださいました。厳しいというより、とても寛容で慈しみに満ちたその眼差しは、私たちを常に温かく見守ってくださっておられるようでした。 最期に山内さんの棺を担うことが出来たのが嬉しかった。山内さんのあの眼差しは、きっといつまでも私たちを見つめておられることでしょう。
鎌倉文学館館長 富岡幸一郎(64)
2011年(平成23)の10月頃だったと思う。仕事で東京にいて、秋の気配深まる街路を歩いていると携帯電話が鳴った。山内静夫さんからだった。翌朝、鎌倉駅前のイワタコーヒー店でお会いすると、単刀直入にと云われ、鎌倉文学館の次の館長をしてくれないかとのことだった。驚き恐縮したがその場でお受けした。 2015年(平成27)、90歳で鎌倉同人会の創立百周年の記念事業を主催された後だったと思う。脳梗塞で不自由ながら文学館に一人来られた山内さんは、少し改まった表情で、単刀直入にという前置きがあり、同人会の理事長をやってくれないかとの依頼だった。断りようがない。 山内さんの「単刀直入」には、温和で優しい雰囲気のうちにも、まさに竹を割ったような意思と決断があった。その山内さんが8月15日、天寿を全うされた。寂しく悲しいが、今は改めてその依頼の重さを受け止めている。
鎌倉市芸術文化振興財団副理事長 牧田知江子
山内さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました。 昭和の鎌倉の風情を語り継ぎ、鎌倉文士の末裔の気品と気骨を持ち続け、文化都市鎌倉の目指すべき姿を熱く語るお姿に常に勇気を頂きました。 KCTVの社長として、旧松竹大船撮影所から続く鎌倉の映像文化の継承を大切にされ、さらに鎌倉市芸術文化振興財団の理事長として、鎌倉芸術祭を主催され鎌倉ならではの文化芸術の発信に心を砕いておられました。 その活動にほんの少しでもご一緒に関わる事が出来ました事は私にとって幸福な事と感謝しております。病を得た後も、少しも気力を失わず、常に前向きに日々を送られるお姿に頭の下がる思いを致しておりました。山内さんのやさしい笑顔と穏やかな口調は私の心に生き続けております。 山内さん、どうぞ安らかにお休みください。 これからは後に続く私たちが鎌倉の文化の火をともし続けて参ります。合掌
鎌倉市芸術文化振興財団 専務理事 岡林馨(77)
山内静夫さんといえば映画人、鎌倉文学館長、軽妙洒脱なエッセイスト、俳句をたしなむ「文人」とのイメージが浮かぶが、私には同時に広くスポーツを愛する人との印象が深い。 省みれば、初めての出会いは半世紀以上の昔、私の大学時代に山内さんの演劇仲間の野球チームの試合に、お手伝いをさせていただいたことに始まる。山内さんはその試合で一塁手を務められ、スマートなプレーを披露されていたが、聞けば旧制湘南中学(現湘南高校)時代にはテニスの代表選手として活躍されたという。時は過ぎて、私が現在の財団勤務につながることになったのも、その時以来の山内さんとの深いご縁がなくしてはあり得ないことであった。 晩年は体調を崩されて不自由な生活を余儀なくされたが、一言も愚痴を漏らすことなく、いつも笑みをたたえながら接していただいたことに、改めて感謝と惜別を申し上げたい。 「山内さん。どうぞゆっくりお休みください」。山内さんはまさしく「文武両道」の人であった。
俳誌「玉藻」主宰 星野高士(69)
敬愛していた山内静夫さんの追悼文を書くことになるなど先日まで思いもしなかった。
私が館長をやっている鎌倉虚子立子記念館を二階堂に建てて今年が二十年。最初何もわからない時にも山内さんは、いろいろと教えていただき鎌倉市の許認可にも応援していただき今に在る。
また鎌倉文学館で始めた「谷戸」句会にも「千(ち)彰(あき)」と言う俳号を名乗り毎回参加されていた。
私の俳句と山内さんの俳句を互いに採り合っている時は、お互い何も言わないが、嬉しかったのを思い出す。
お父上が里見弴先生でご本人も松竹の小津番でもあった高名な方だったので、文学もしかり言葉には実に拘(こだわ)りがあった方だった。
いつも俳句を本当に愛してくれて、奥様の愛子さん共々私達を応援してくれた。もっと沢山ご一緒して俳句談義をしたかったが、あの句会での一瞬一時は忘れない。
〝ダンディー〟とは山内さんのためにある言葉ではないかと今でも思っている。黙祷
鎌倉市文化協会理事長 村田佳代子
山内静夫様は作家里見弴(山内英夫)氏の四男で、有島武郎・生馬という偉大な作家・画家が伯父様という素晴らしい環境で生まれも育ちも鎌倉、文字通りの鎌倉文化人でいらっしゃいました。
私の父良策はお父上御兄弟皆様と交流がありましたが、私が静夫様にお目にかかったのは平成になっての事です。鎌倉ケーブルテレビが開局し丁度大学を卒業しオペラ研究所に通い始めた長女がリポーターとして採用され、我が家で松竹撮影所やテレビ局が話題に。以来山内社長ご夫妻とは街中でお会いするとご挨拶をさせて頂いたものです。温厚でスマートな紳士で奥様と仲睦まじい御様子は四半紀お変わりになりませんでした。鎌倉文学館の館長をお勤めになり鎌倉芸術文化振興財団の初代理事長として文化都市鎌倉を支えて下さる一方、鎌倉朝日の「谷戸の風」の連載が楽しく出版記念会でお会いしたのが最後になりました。
心からご冥福をお祈りいたします。
鎌倉市観光課大河ドラマ担当 石川 雅之(65)
山内先生の笑顔を拝見できるのが嬉しかった。県の教員職を定年退職後、フィルムコミッションの検討導入を中核主題とする市の公募で採用され、ご自宅に報告に伺うと満面の笑みでお迎えくださった。「これでやっと実現するね、頑張って」と激励された日の事を昨日のことのように思い出す。
2年後の夏、コロナ禍の中ながら始動の記者会見を鎌倉文学館で実施するにあたりお出ましをお願いした時も、それまで以上の笑顔でお臨みくださり、ご多忙の中駆け付けてくださった中井貴一氏と、お喜びを共にしていただいた。
ご自宅にお伺いする折に空也の最中や釜揚げシラスをお持ちすると、大好物なんだよ、とすぐに笑顔で食してくださり、奥様とご一緒に談笑させていただけるのが無上の喜びだった。
まだ十分には恩返しできないまま黄泉へのお見送りとなってしまった。大船松竹の伝統をこの鎌倉で継承することを先生の笑顔を胸に刻み、是非とも実現させたいと思う。
山内先生、ありがとうございました。
コロナ禍奮闘記
鎌倉てらこや事務局 豊田 晋
早いもので2021年度も折り返しを迎えつつある。振り返れば、この半年もコロナ禍で、もがき苦しむ日々だった。 6月下旬、2カ月ぶりに緊急事態宣言が解除された。子どもたちと対面での活動が再会できると喜んだのも束の間、雨天で泣く泣く活動を中止したこともあった。久しぶりに訪れた学童保育施設では、学生を楽しみに待ってくれている子どもたちや、オンラインの活動で仲良くなった子どもたちの存在があった。しかし、7月中頃には緊急事態宣言が再発令され、またしても、子どもたちを悲しませることになってしまったのだ。 子どもたちのための活動であるはずなのに、なぜ寂しい想いをさせなければならないのか。てらこやの活動を楽しみにしている子どもたちに、あと何回中止や、延期を謝ったらいいのか。込み上げてくるやるせなさが心を蝕んでいった。 悶々とすごした夏休みは終わり、鎌倉市の小中学校では、新学期開始から1週間は短縮授業を行い、その後も部活動の自粛が続く。 外せないマスク、友だちとのソーシャルディスタンス。私たちを取り巻く社会は大きく変わった。必死で新しい日常を築いていく私たちに知らず知らずストレスが積み重なっていく。子どもたちも同じように鬱々とした日々を送っているのではないだろうか。 そこで、子どもたちの不安を少しでも払拭できればと学生メンバーがSNS上に動画を投稿する「一言メッセージリレー」を再開した。オンラインで活動する「てらこやたまりば」では、一人でも多くの子どもたちの日常と繋がるべく、初めての参加でも何をするかが明確な工作イベントを盛り込むことで、少しずつ参加者を増やしている。オンライン事業で子どもたちから友人関係の悩みや勉強についての不安の声を聞くことがある。今までなら友だちと遊んだり、話したりする中で解決していくように思えることも多い。オンラインではあるが、大学生との関わりが、子どもたちにとってほっとするひとときになってくれたらうれしい。
鎌倉てらこや事務局
0467-84-9746(平日13~17時)
http://kamakura-terakoya.net/
横村 出 著
時代は有力御家人の三浦氏が執権北条氏に反旗を翻した宝治合戦(1247年)から10数年後。領地訴訟のために鎌倉に逗留する越後柏崎の地頭の父についてきた嫡男毛利時元(ときもと)の半生を描く歴史小説。
作者(「ひと」欄に紹介)は、世阿弥の能「柏崎」にヒントを得て、謎のある時元という人物を想像力で埋め、物語を展開させる。時元は武芸よりも信心にこだわり、人はなぜ生きる、なぜ死ぬかを考え続ける。「放下」とは、自分の身についた執着を捨てること。その後に何が残るのか。
かつて新聞社の特派員だった作者は戦場で多くの死を目撃した。作品にはその死生観が反映されていると思われる。死とは何かが解き明かされる最後の場面は圧巻だ。主人公の恋愛もストーリーの鍵となる。巫女の紫珠(しず)が時元の生きざまに絡む。流鏑馬に登場したり、長野善光寺に踏み込んだりと勇ましいが、恥じらいも知る。北条政子を生んだ鎌倉時代の女だ。主舞台は鎌倉。今も変わらぬ地名や通りが随所に出てくる。鎌倉を知る人は、身近に感じながら読めるのもいい。
新潟日報事業社刊1400円(税別)。
まりん、5歳の女の子。パパチワワとママトイプードルの元に誕生したミックスのチワプー。我が家のアイドルで、運命的な出会いでうちの子になってくれて本当に幸せ。
津西 勝俣さん方
●ギャラリー一翆堂
▽10月6〜10日「今井信二―花器・壺・うつわ展」青白磁シノギ技法の作品、シンプルで機能的な日常使いの器や身の回りの置物など。
▽10月23〜28日「伊賀・小島陽介器展」=写真
22・3769
●第69回時頼忌俳句大会
題「時頼忌」「鎌倉嘱目」。
事前投句のみ。3句1組で複数組可、千円(定額小為替)。未発表作品に限る。
原稿用紙等に楷書で、住所、氏名、電話番号明記。
鎌倉市山ノ内8 建長寺俳句大会実行委員事務局へ。10月13日締切。
選者=星野椿さん、山川幸子さん他。時頼賞、建長寺賞など受賞者に記念品送付。※当日は物故者法要のみ。
実行委 22・0981
▼第5回クラシック音楽のひととき
「レジェンド 鎌倉から明日へ」
10月24日14時、鎌倉生涯学習センター。75周年記念コンサート。同会・吉田よし会長のモーツァルトピアノコンチェルト、声楽アンサンブルの「秋の歌」、弦楽三重奏でピアソラの「リベルタンゴ」など。1500円。
申込はメールhitotokicon@gmail.comか、
村田方 090・2207・0031
▼ルーダス・カルテット
ベートーヴェンprogram
10月9日14時、鎌倉生涯学習センター。4千円。Ludus Quartettはモーツァルト全曲演奏を終え、古典音楽の魅力を伝えている。今回はベートーヴェン弦楽四重奏曲作品18-5と 作品131。
解説・予約・問合せはQRから 090・9810・2486(たのシック)
▼第67回鎌倉はなし会「春風亭一朝・一之輔 親子会」
10月30 日15時、鎌倉芸術館ホール。江戸弁の大家の父と21人抜きで真打に昇格した息子が共演。「目黒のさんま」「粗忽長屋」など。4千円。
23・0992
▼bit「チャリティーコンサート2021」
10月16日14時、鎌倉生涯学習センター。若手演奏家のマリンバアンサンブルで、「青い山脈」「無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番」他。2500円、学生1500円、前売2千円・学生千円。収益は難民の自立支援事業へ。
金内方 22・2457
▼深沢学習センター催し
A蘇る青春のポップス10月23日14時。1960~80年代のポップス。
B大編成バスクラリネットの名曲コンサート11月14日14時。
無料。申込は往復ハガキに「催し名・住所・氏名・電話番号を記入し、常盤111-3。A10日、B11月1日必着。
同センター 48・0023
▼川喜多映画記念館
企画展「田中絹代ー女優として、監督として」12月12日まで。14歳で映画デビューした田中絹代が松竹のトップ女優となった後、劇映画初の女性監督として活躍し、鎌倉ともゆかりの深い足跡を貴重な資料とともに紹介。一般4百円、小中学生2百円
▽関連上映 10月2日10時半、1・3日14時「おかあさん」。1・3日10時半、2日14時「流れる」。26・27・29日10時半、27・28・31日14時「宗方姉妹」。28・31日10時半、26・29日14時「簪(かんざし)」。12・14・16日10時半、13・15・17日14時「煙突の見える場所」。13・15・17日10時半、12・14・16日14時「サンダカン八番娼館 望郷」一般千円、小中学生5百円。
▽特別上映 30日13時半「非常線の女」。1600円、小中学生8百円。
23・2500
▼写真展 「オードリー・ヘプバーン
12月26日まで本郷台のあーすぷらざ。永遠の妖精と謳われたオードリーをファッション、映画、プライベートの3編で紹介。一流ハリウッドフォトグラファーの写真作品約百点。4百円。HPからWEB予約制。
▼「よみがえる中世のアーカイブズ~いまふたたび出会う古文書たち」展
10月1日~11月28日県立金沢文庫。鎌倉幕府滅亡後に国内外に流失した資料のうち最大規模の資料群を所蔵する大阪青山歴史文学博物館の特別協力で金沢文庫(称名寺)ゆかりの文化財を展示。20歳以上5百円。
045・701・9069
▼特別展「樋口一葉展ーわが詩は人のいのちとなりぬべき」
10月2日~11月28日県立近代文学館。一葉の没後、妹の手で守られてきた資料を展示し、家制度や女性差別、貧困の中で苦闘し続けた人生と作品の背景などから一葉の普遍的な魅力を探る。一般8百円。
045・622・6666
▼チャリティー阿部民踊・香慶会30周年発表会
10月10日12時半、鎌倉芸術館ホール。舞踊芝居(源平栄枯盛衰物語)、舞踊、獅子舞など。無料。
赤井方 45・0437
▼第21回鎌倉フォトクラブ・ベアーズ写真展
10月14~19日鎌倉芸術館ギャラリー。設立22年の同クラブ(会員24人)が「鎌倉物語2021」をテーマに、自由作品を合わせ50余点を展示。
小野寺方 45・7876
▼リサイクル作品展
10月19日~11月12日笛田リサイクルセンター。
32・9094
▼第40回「鎌倉切手展」10月30日11~17時、31日10~16時、鎌倉生涯学習センター。設立42年の鎌倉郵趣会が日本・外国切手、葉書等テーマ別のコレクションを展示。
花村方 31・2467
鎌倉市中央図書館(8月分)
鎌倉市中央図書館(25・2611)は8月に一般168冊、児童書31冊を収蔵した。一般的なものは下記の通り。 ▼「良いデジタル化悪いデジタル化-生産性を上げ、プライバシーを守る改革を」野口悠紀雄著 日経BP日本経済新聞出版本部▼「ミュージアムグッズのチカラ」大澤夏美著 国書刊行会▼「今日がもっと楽しくなる行動最適化大全-ベストタイムにベストルーティンで常に『最高の1日』を作り出す」樺沢紫苑著 KADOKAWA ▼「TIME SMART-お金と時間の科学」アシュリー・ウィランズ著 東洋経済新報社▼「中世禅の知」末木文美士監修 榎本渉編 亀山隆彦編 米田真理子編 臨川書店▼「半藤一利-歴史とともに生きる」平凡社(別冊太陽)▼「コロナ禍一年」文藝春秋(週刊文春WOMAN)▼「ビジネスマナー解体新書-最新版ひと目で要点理解」岩崎智子監修 ナツメ社▼「1万円からはじめる勝ち組銘柄投資—10年寝かせて経済的自立を実現」和島英樹著 かんき出版▼「限界から始まる-往復書簡」上野千鶴子著 鈴木凉美著 幻冬舎▼「365日、暮らしのこよみ-日本の四季と花鳥風月を愛でる二十四節気・七十二候・年中行事」井上象英著 学研プラス ▼「ハーブで楽しむ庭づくり-育てて生かす」東山早智子監修 成美堂出版▼「芸術のよろこび」吉田秀和著 河出書房新社▼「すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった」太田省一著 筑摩書房(ちくま新書)▼「英語の思考法—話すための文法・文化レッスン」井上逸兵著 筑摩書房(ちくま新書)▼「こどもは古くならない」糸井重里著 ヨシタケシンスケイラスト ほぼ日(Hobonichi Books)
▼鎌倉市ファミリーサポートセンター支援会員登録講習会
10月7・13・19・27日鎌倉児童ホーム。育児や家事の手助けをしたい人(支援会員)登録のための講義。無料。
申し込みはメールfamisapo@pluto.plala.or.jpか 43・5401
▼鎌倉ユネスコ協会
▽バザー 10月10日10~14時。同会深沢倉庫(深沢中学へ上る手前の信号右折の長屋)。毎月第2日曜。雨天開催。※献品受付 衣類・雑貨・支援用食糧品。
久保方 44・9830
▽書きそんじハガキでアジア寺子屋支援 未使用切手・プリペイドカードなども。鎌倉市御成町11―40Mビル3Fへ。
小倉方 080・6602・9498
▼ふらっとカフェ鎌倉
食を通じて多世代交流。
10月15日17時半、二階堂デイサービスセンター。弁当テイクアウト、食育講座、国際交流、地域有志の音楽演奏。子ども2百円、大人5百円。
27日ゾンベカフェ。店内飲食16~17時・17~18時。子ども3百円、大人5百円。テイクアウト16~18時、5百円。
メールで予約flatcafekamakura@gmail.com
▼北鎌倉・台峯の緑をともに
▽山の手入れ10月16日10時、山ノ内配水池横。
▽山歩き17日9時、山ノ内公会堂。
北鎌倉の景観を後世に伝える基金・望月方 45・7420
▼逗子の市(雨天中止)
亀岡八幡宮境内。▽フリーマーケット10月29日9~15時。雑貨・衣類・手造り品など約20店。
▽骨董市30日8~15時。出店者募集。
片岡方 090・5442・3778
▼鎌倉生涯学習センター
A新1万円札の顔「渋沢栄一」を紐解く10月20日14時半。無料。
Bおうちで楽しむ『和の香り』手作りお香講座(全2回)10月22日匂い袋作り、29日塗香づくり。14時。材料費2千円。
Cおうちで楽しむ中国茶11月10日14時。教材費3百円。
申込は催し名・住所・氏名・電話番号を記入し往復ハガキで小町1ー10ー5。A10日B14日C31日必着。
25・2030
▼腰越なごやかセンター
やってみようZOOM
10月29日①9時半②11時15分。市内在住60歳以上対象。無料。
要申込 31・0800
▼腰越学習センター
A食育カレッジ・男の料理教室11月6・13・20日13時、全3回。2400円。B渋沢栄一と日本の証券市場誕生の物語11月19日14時。無料。
申込は催し名・住所・氏名・電話番号を記入し往復ハガキで腰越864。A28日、B11月10日必着。
33・0712
▼大船学習センター
渋沢栄一とクラシック音楽11月20日14時。無料。申込は催し名・住所・氏名・電話番号を記入し往復ハガキで大船2ー1ー26。11月2日必着。
45・7712
▼玉縄学習センター
Aシルクロードの中継地ウズベキスタンの魅力11月6日13時半。無料。
B子どもから大人までパントマイムを楽しもう11月21・28・12月5日13時半。無料。申込は催し名・住所・氏名・電話番号を記入し往復ハガキで岡本2ー16ー3。A14日、B11月15日必着。
44・2219
利休鼠の雨が降る 佐伯 仁
●色柄に求めた江戸の粋
10月。神無月。小春月この時期、夏から冬へ季節風が交替する。空は曇りがちで小雨が降る。
思い出す歌は「城ケ島の雨」(詞・北原白秋/曲・梁田(やなだ)貞(さだし))」。この歌は1913年(大正2)10月に発表。
晩秋の雨を仰ぐ白秋が〝利休鼠〟を歌詞に入れた理由は?
随筆家の秋山ちえ子の『雨の日の手紙』(文春文庫)に「利休鼠の色は分かっていたが、この歌を聞くと小型の鼠が目に浮かぶ」とある。白秋は秋雨に侘びた灰色を意識したため、利休鼠と表現したのだろう。利休鼠は利休茶と共に「色の辞典」に記され、江戸期、染屋、呉服屋が流行させた。
富を築いた町人に幕府は奢侈を禁じ、庶民は鼠系・茶系を着た。その反骨心を示す夥しい数字か四十八(しじゅうはっ)茶(ちゃ)、百(ひゃく)鼠(ねずみ)。茶・黒・鼠系に縞や格子を目立たぬよう合わせ江戸っ子の意地をみせた。
随筆家の雨の日の連想は愛らしいが、雨の城ケ島の海岸は詩情豊か。 現在、ミシュラン・グリーンガイド・ジャパンでは「近くにいれば寄り道したい場所」として星二つを獲得している。
城ケ島は今日も雨?降るのは利休鼠…
秋雨や水底の草を 踏み渡る 蕪村
実朝公顕彰歌会
11月30日13時~16時半、鎌倉生涯学習センター
【第1部】講演 歌人の今野寿美氏「われてくだけて裂けて散る 実朝らしさについて」。
【第2部】歌会と表彰。選者は大下一真さん、香山静子さん、木村雅子さん、今野寿美さん、津金規雄さん。
【投稿要綱】B5判200字詰め原稿用紙に楷書で新作1首と住所、氏名、、使用かな(新・旧)を明記。原稿用紙1枚に1首,3首まで投稿可。
▽投稿料1首千円。振込先ゆうちょ銀行00260―4―59248 鎌倉歌壇。
▽締切10月15日、当日消印有効。
〒248‐0013鎌倉市材木座2ー9ー29
▽問い合わせ 090・2727・7622
今年で16回目。9月5日から12月12日まで、相模湾沿線地域の13市町に残る邸園(邸宅・庭園、歴史的建造物等)を舞台に、湘南、各地域のNPO25団体らが47の催しを開催する。
▽旧井上匡四郎邸でひもとく「帝国ホテル」「F.Lライト」「遠藤新」
10月9日13時、サロンギャラリー明風(葉山町堀内)。3千円(お茶付)。主催は葉山環境文化デザイン集団。
申込はメールmom3dkakiko@gmail.com
▽「数寄屋造りと日本庭園のみかた」講座@旧山本条太郎別荘
10月11日①10時②13時半。3千円。主催は庭屋一如研究会。
申込はメールteioku@grace.ocn.ne.jpか藤井方 080・7115・2644
▽旧モーガン邸で楽しむ藍染め体験会
10月17日①11時半~②13時半~。千円。主催は旧モーガン邸を守る会。
申込はメール1122morganhouse@gmail.comかFAX 0466・88・4388
▽盛岩寺昭和文化館
A「公開月釜お茶を楽しむ」10月23日・11月20日14時。千円。申込はメールseiganji@theia.ocn.ne.jpかハガキで藤沢市打戻1119
B「墨蹟風入れ展と展示解説」11月1日~3日10~16時。無料。
問合せ 090・3963・1197
▽登録有形文化財で観る小津安二郎監督作品「晩春」
11月3日15時、茅ケ崎館。能楽写真家と五代目館主のトークや館内見学も。千円。主催は茅ヶ崎の文化景観を育む会。
申込は 0467・82・2003か、メールinfo@chigasakikan.co.jp
会社役員 門倉泰弘(87)
山内静夫氏の訃報を聞いて、青春時代の楽しかった思い出と共に、大きな寂しさが胸に湧いた。
僕にとって、山内氏は、慶應義塾大学、〝鎌倉座〟というアマチュア演劇、スリーエイセスという野球チーム、そして酒を飲みながらの親睦会、全てにおいて素晴らしい先輩であった。
特に鎌倉座は、戦後の人々が文化芸術に餓えていた時代に始まり、夏の大祭の折、八幡宮境内でのページェントを始め、第一小学校講堂など市内で公演を行った。僕は大学時代演劇研究会に所属していたのでその関係で声を掛けられ参加した。
屋外で汗を掻く野球もまた楽しかった。ピッチャーは静夫氏兄上の鉞郎氏が務めていた。
芝居も野球も終了後の宴会が盛り上がった。酒が進むにつれて、余興の歌、物まねなども披露され、拍手歓声が続いた。これらの思い出は一生の宝物。お陰で大人になることが出来た。
山内兄、本当に有り難うございました。 合掌
フルート奏者・作曲家 吉川久子
私が鎌倉をモチーフに旋律を綴った作曲作品、「谷戸の風」組曲がある。谷戸に吹く風と鎌倉で日々を送る人間(山内さんがモチーフ)を重ねて作曲した作品だ。 「生きている限り、聴きに行くよ」そう言って時間の許す限りコンサートに足を運んでくださった。そして食事の時はお互いの好物である熱燗を夏でも楽しんだ。 6月末、コロナ禍の中恐る恐るお宅を訪ねた。たわいもない話と私のフルートに合わせ、次々と口ずさむ奥様の歌声を、ベットに横たわりながら静かに聴いていてくださった。いつもはつれないトラ(山内家の愛猫)がその日に限って主人(山内さん)の空席の横に座り一緒に声をあげ私たちの会話に参加していた。この日は今思うと何とも奇妙な光景だった。「私よ。わかる」と遠巻きに聞く私に「わかるよ」といつもと変わらず落ち着いた口調で答えた。帰り際に「また来るね」という私に左手を高くゆっくりと上げた。最後までダンディな山内さんだった。
作家 秋山真志(63)
鎌倉駅は八幡様のある通称表駅と、江ノ電改札口のある裏駅に分かれる。山内静夫さんのお宅は裏駅からほど近い閑静な住宅街の一角にある。ぼくはよくお宅を訪ねた。 山内さんは鎌倉の名士中の名士。そもそもぼくが主宰している落語会の鎌倉はなし会も最初はひとりでやっていたが、山内さんが鎌倉文学館を運営する鎌倉市芸術文化振興財団の理事長を務めていた時期があって、山内さんのお声掛けで財団と共催するようになった。財団を退任したあともお客さんとして鎌倉はなし会にいらして下さった。 日本の映画人と多彩な交流があり、女優の司葉子さんや岩下志麻さんにも山内さんの紹介で取材をさせていただいたことがある。鎌倉文士とも深い付き合いがあった。現役時代の小津安二郎と原節子を語れる希少な存在でいらした。
冬花社 本多順子
山内さんが親しく話かけてくださり、お宅にも伺うようになったのは、何がきっかけで、いつ頃のことだったか、思い出せない。ある時、「身内や自分のことを書くのは憚られると思ってきたが、80歳になって生きてきた証に書き留めておきたくなった」と、父母のこと、西御門の家から始まるご自分の来し方を綴った原稿を示された。初めて公にする父・里見弴が両親に結婚の許諾を求める手紙も含まれていた。2007年に『八十年の散歩』という本になったのだが、原稿から、或いは雑談の端々から、お母様への強い愛惜の情が山内さんのなかで燃え続けていることを知った。 また、西御門の旧宅(現・西御門サローネ)へご一緒したときのこと、二階の窓際に作り付けられた机の木肌を撫でながら「ここで勉強してたんだよ」と懐かしそうに仰った声が、今でもよみがえる。 最後にお会いしたのは今年のお誕生日前日の6月12日。有島家と長く親交のあったピアニスト・原智恵子の本(寺崎太二郎著)がもう少しで出来ますとご報告したら、「おっ、楽しみにしてるよ」といつもの声で励ましてくださった。
作家 庵原高子
山内静夫さんほどすべてに備わった人はいない、若い頃はそう思っていたが、後に有名文士の息子さんとして、色々とご苦労があったと聞いた。しかし、それを表に出すことはなく、常にユーモアのある笑顔を浮かべ、周 囲の人を励ましていた。 私は夫門倉より数年遅れて鎌倉座に入った。初めて稽古場に行った日〝温泉まんじゅう〟というニックネームを付けられた。家には丸7年寝たきりの父が居て、20歳の娘としては暗さを持っていたので意外だったが、座員には、白くて丸く、おまけに湯気が立っているという印象を与えたらしい。暗さを明るく捉えてくれた鎌倉座が気に入り、私はそこで結婚相手も見付け、諦めかけていた文学への道に進むことが出来た。全ては静夫さんの頭脳と優しさのお陰である。享年96歳、百歳になっても生きていて欲しかったけれど…。 〝まだ、私は書いています〟と、天に向かって手を合わせるばかりである。
「谷戸の秋」 黒川 明
鎌倉の津に広がる広町の森、ナショナルトラスト運動で開発をまぬかれた貴重な緑地だ。森には桐や山桜の大木もあって、さらに眺望のよい所もある。
谷戸には水田がある。今回はここを描こうと決めた。昔より田は狭くなった。その中を小さな、本当に小さな流れが一筋、田を潤してゆく。疲れた緑に覆われている谷戸を眺めながら、すぐに訪れるであろう秋の色が思い浮かんだ。田は黄に、桜は赤く色づくだろう。
心に浮かんだ色が画紙にあふれていった。
水彩画 46×61cm
10月
▼人形供養 3日13時、本覚寺。参列不可。
▼達磨忌 4日14時宿忌、5日10時半斎、建長寺。
▼初亥祭 6日9時、江島神社。神職・関係者のみ。
▼絵筆塚祭 9・10日まんが絵行灯掲揚。9日日没後点灯。10日13時、祭事。荏柄天神社。
▼十夜大法要 13・14日法要。関係者のみ。光明寺。
▼白旗神社文墨祭 28日10時、鶴岡八幡宮白旗神社。関係者のみで執行。
▼鎌倉薪能 無観客公演。11月下旬オンライン無料配信を予定。
東京2020オリンピック・パラリンピックで競技を終えた直後の選手にインタビューをする際、まだ息を切らせているのに急いでマスクを着用して応えている姿がありました▼「息が整ってからでもいいのに…」と思いながら観戦していて不思議と印象に残っています▼先日、聴覚障害の友人たちと会話をしていました▼すると、なぜか困った表情になっています。他愛もない会話だったので不思議に思っていると「口元が全然見えない」ので、読唇術のような補助的な情報がなかったのです▼コロナ禍で社会全体がマスク着用のために、些細な場面で困っているそうです▼相手のことを想像する必要性をコロナに教えてもらった気がしました。(N)